ロックバンド・シャ乱Qのボーカルやモーニング娘をプロデュースした事でも知られている「つんく」さん。
現在は総合エンターテインメント事務所TNX株式会社の代表取締役社長をつとめています。
今回は多岐にわたって活躍してきたつんくさんの生い立ちについて調べてみました。
1.【生い立ち】つんくはコンプレックスの幼少期
調べてみると意外にもつんくさんはコンプレックスを抱えていたことが分かりました。
1-1.つんくの幼少期
男ばかりの3人兄弟の長男として育ったつんくさん。
つんくさんの実家は乾物屋を経営していたようで、土日も営業されていたため、家族でのお出かけ等は
ほとんど無かったのだそうです。
お仕事の手伝いもされていたようで、当時の接客経験やお金のやり取りは現在の仕事に生かされている部分も
あるのかもしれません。
また当時は活発で明るい少年だったようで過去のホームビデオを見返された際には元気いっぱいの姿が残されていたのだそう。
1-2.つんくのコンプレックス
活発な幼少期を過ごしていたつんくさんですが実はコンプレックスもあったようです。
それは何事も「一番になれない」という事です。
幼少期の男の子になら少なからず「人気者のなりたい」「ちやほやされたい」気持ちってありますよね。
当時のつんくさんもそのように思われていたようです。
足も速く、水泳もうまい、おしゃべり上手だと自分思っていた幼少期のつんくさんでしたがクラス1の人気者という訳ではなかったのだそう。
「なぜ少年野球野郎に勝てないのか」
「なんで、あのサービス精神の無い、男前なだけの野郎が評価されるんだ!?」
みたいな悶々とした思いがあったようです。
そんなつんくさんの思考も、将来の成功へとつながっていたのかもしれませんね。
2.【生い立ち】つんくのバンドの活動はいつから?
そんなつんくさんですが、いつからバンド活動はいつから始められたのでしょうか?
本格的なバンド活動の始まりは高校時代からだったようです。いくつかのバンドに参加されていたのだそう。
同時にタレントも目指されていたつんくさんはバンド活動の傍らタレントのオーディションもいくつか受けていました。
↓シャ乱Qのヒット曲の数々はこちら
・シングルベッド
・上・京・物・語
・ズルい女
・涙の影
・いいわけ
紅白歌合戦や日本レコード大賞など様々な音楽番組にも出演し、日本を代表するようなバンドとして成長していきました。
バンドの成長の裏には、つんくさんの幼少期の「一番になりたい」というような思いも一つの要因だったのかもしれませんね。
まとめ
ここまでつんくさんの生い立ちについて幼少期のコンプレックスとバンド活動を中心にみてきました。
- つんくさんは三人兄弟の長男。
- 幼少期は活発で明るい少年。
- 常に「1番になりたい」というコンプレックスもあった。
- 高校生からバンド活動を開始。
- 大学時代に「シャ乱Q」を結成し、日本を代表するバンドへ。
バンド活動・プロデュース活動など様々な分野で活躍されてきたつんくさんですが幼少期には 意外なコンプレックスもあったことが分かりました。
これからの活動も心から応援しています。
ご覧頂きありがとうございました!