女子サッカー界のレジェンド・澤穂希さんについて深掘りしていきます。
現在、結婚し母親となった澤穂希さんの生い立ちが、輝かしいものではなかったことをご存知でしょうか?
この記事では、澤穂希さんが育った環境やいじめにあった過去についてお伝えしていきましょう。
澤穂希の生い立ち
澤穂希さんが女子サッカーを牽引する存在だったことは有名な話です。
2012年には世界最優秀選手にメッシと並んで選ばれ、耀かしい功績をもつ澤穂希さんの生い立ちはあまり語られていません。
気になる生い立ちについて見ていきましょう。
澤穂希の実家は府中
澤穂希さんは府中市の出身です。
小学2年生で、府中市にある「府ロクサッカークラブ」に入団したことがサッカーとの出会いでした。
母子家庭育ちだった
両親は澤穂希さんが15歳のときに離婚
離婚の理由については明かされていませんが、サッカー日本代表の合宿から帰宅した時に離婚が成立。
澤穂希さんは、その場で父親と母親のどっちについていくのかの判断を迫られたそうです。
義務教育が終了する間際の両親の離婚は、経済的にも困難な状況になるのは、目に見えていたことでしょう。
その当時の心境について、
日本代表に選ばれたりとかして、両親の離婚もあって『自分で自立しなきゃいけない』というか『自分で稼げるようにならなきゃっていう強い思いは高校生ぐらいの時にありました。
引用元:https://www.sponichi.co.jp/
と明かしています。
すでに、高校生で親に頼ることができない状況下に置かれていた澤穂希さん。
そんな家庭の事情が女子サッカーのレジェンドを生み出したのかもしれません。
実家はゴミ屋敷
両親が離婚し、母親についていく選択をした澤穂希さんが、住んだ実家がゴミ屋敷だったと週刊誌に報じられています。
その記事によると、
・間取りは和室6畳、フローリング6畳の2DK
・家賃8万円
・フローリングは腐って穴が空いていてガミテープで補強
・柱は傷だらけ
・一度も掃除をしたことがなく足の踏み場がない
澤穂希さんの母親が出版した著書の印税が入ったタイミングで退去し、ゴミだらけの生活ぶりが発覚。
澤穂希さんの母親はサッカーチーム「府ロク」の父母会で代表をやっていて、チーム引率など多忙を極めていました。
そんな状況の中で、家のことは後回しになっていた結果なのかもしれませんよね。
【生い立ち】澤穂希はいじめられていた
笑顔の印象が強い澤穂希さんですが、陰険なイジメに遭っていたことがありました。
いじめられた時期や、その内容やどうやって乗り越えたのかを見ていきましょう。
イジメられたのはいつ?
澤穂希さんがイジメに会っていたのは小学生のとき。
当時、サッカーをする女子が少なく所属していたチームに女子は澤穂希さん一人でした。
女子の中でも珍しい存在でイジメの対象になった澤穂希さん。
・上履きをカッターで切られる
・教科書を隠される
といった陰湿ないじめを受けていたんです。
サッカー以外でも、男子に混じってドッジボールやケイドロをして遊ぶことのほうが好きだったことも、女子から妬みの対象になったのでしょう。
澤穂希さんは親に言わずにいたけど、教師が母親に状況を話して発覚したそう。
イジメを知った母親は「あなたのやりたいようにしなさい。悪いことをしたわけじゃないから」と笑顔で過ごせば、良い状況になるとアドバイス。
さらには「やり返す気持ちで頑張れ」と助言していたことも明かし、澤穂希さんのメンタルの強さのベースになっていることがわかります。
サッカーを始めた頃は女子選手の登録が難しく、どんなに上手でも選手登録してもらえずに悔しい思いを経験している澤穂希さん。
「笑顔で過ごせば良い状況になる」という澤穂希さんのメンタルの強さで、女子サッカー界に大きく貢献したことは間違いないでしょう。
まとめ
澤穂希さんの生い立ちについてまとめると、
・両親は離婚し母子家庭だった
・実家はゴミ屋敷
・壮絶ないじめを経験していた
ことがわかりました。
素敵な笑顔が印象的な澤穂希さんの強さの裏には、生い立ちが関係していたのかもしれません。
今後、澤穂希さんが、女子サッカー界でどのような関わりを持つのか楽しみですね。