エキゾティックな雰囲気が魅力の女性ラッパーAwich。
最近はメデイアに出演するなど活躍の場が広がり、Awichのパワフルなパフォーマンスを目にする機会が増えてきました。
今回は、英語が堪能で見た目がハーフに見えるAwichさんの両親について調査していきたいと思います。
Awichはハーフじゃない!
Awichはハーフではありません!
顔立ちや佇まいが日本人離れしているAwich。
ネイティブばりの英語が話せるとなると、どこの国の出身なのか気になりますが日本人です。
Awichのアーティスト名は本名からとっています。
亜希子という名前は『アジア大陸のように大きな希望を持つ娘に育ってほしい』という、Awichの両親の想いも素敵ですよね。
さらに、その名前の通り世界で活躍するアーティストになっているAwichが素晴らしい。
では、Awichの両親について、どんな方達なのか調査していきましょう。
Awichはハーフではなく両親は沖縄県出身!
こちらがAwichの両親(白丸で囲まれた2人)です。
父親:浦崎直行さん 82歳:2024年1月時点
母親:浦崎米子さん 74歳:2024年1月時点
Awichの父親の直之さんは、真珠湾攻撃の翌日のパラオで誕生しています。
2歳に沖縄に戻ってきて、戦後の苦しい時代を生き抜いた大変な世代の方。
Awichは父親が45歳、母親は38歳のときに生まれていて、比較的遅くにできた子供だったんですね。
父親の職業は?
SPEEDやDAPUMPが全盛期の時代で、アクターズスクールに入学したかったAwichですが、父親の猛反対で入ることができなかったんだそう。
ラッパーになることも、父親の直行さんは快く思っていなかったんだとか。
アメリカ留学したり、Awichの行動力を見ると、そんな厳格な父親のもとで育っていたのが意外ですよね。
母親は料理上手
母親の米子さんは、手先が器用で絵を描くことや読書することが好きな方なようです。
Awichさんがプロデュースするレストラン『Cafe Cipher 彩場サイファー』で料理を提供していた米子さん。(現在は閉店している可能性あり)
那覇市識名で隠れ家的なカフェ&レストランを切り盛りしていた米子さんは、とても料理上手だったそう。
こちらが、その頃のメニューの一部です。
Awichが英語を話せるのはなぜ?
Awichが英語を話せるようになった理由は3つ。
こうしてみると英語を「書く」「聞く」「話す」3パターンに分けて、それぞれ集中して学んでいたことがわかります。
そして、高校生の時にアメリカ・ミーズリー州に留学したことで、さらに英語力が鍛えられたんでしょう。
両親の影響力というよりは、自身で英語力をメキメキとつけていったんでしょうね。
どん底の時に父親からの言葉
アメリカの留学中に結婚、妊娠して一人娘を授かった後の2011年に、旦那さんを亡くしたAwich。
今後の生活について光が見えないときに、父親の直行さんがAwichにかけた言葉がこちらです。
「ウチナーンチュ(沖縄の人)は全員そうだからな。戦争で大事な家族を失ったんだ。お前1人だけじゃない」
引用元:https://wararchive.yahoo.co.jp/
沖縄の血を受け継いだ自分にも、同じ力があると信じて音楽活動を再開するきっかけになったんだそう。
Awichにとっての強さは、沖縄が原点にあったんですね。
まとめ
ヒップホップ界を牽引するAwichがハーフではなく、生まれも育ちも沖縄であることを調査しました。
Awichの父親も母親も沖縄出身で、Awichにとって沖縄は音楽のルーツになっている場所。
英語が堪能で、顔立ちもはっきりしていることからハーフに間違われやすいようですね。
今後、ますますAwichの活躍の場が広がりそうで、目が離せませんね。