KANA-BOONのボーカリスト、谷口鮪さんが孤独な生い立ちなことをご存知でしょうか?
不祥事などでメンバーが脱退をしても、KANA-BOONを守り続ける谷口鮪さん。
この記事では谷口鮪さんの両親離婚や孤独な少年時代についてまとめていきましょう。
谷口鮪の生い立ちが孤独!
両親が小学1年生のときに離婚
両親の離婚理由については明らかになっていません。
谷口鮪さんに兄弟がいるか不明ですが、おそらく一人っ子だったと思われます。
両親が離婚した後、谷口鮪さんが大人の事情で振り回され、孤独な少年時代を過ごすことになっています。
小学校の入学式に出席できず
谷口鮪さんが小学校の入学式に出ることができず、1年間ほとんど学校に通えなかったのは大人の事情に振り回されていたからです。
その状況を時系列でまとめていきましょう↓
経済的に不安定で谷口鮪さんを育てることができないことが判明
母親には内縁の夫の存在が、すでにあった。
谷口鮪さんは、見ず知らずの男性との同居が嫌で父親のもとに行きたいと伝える
ここまでの流れは、谷口鮪さんが小学1年生のときに起こった出来事。
わずか1年の間に大阪ー神戸間を往復し、入学式どころか1年間学校にほとんど通うことができなかったそうです。
おそらく友達を作る暇もなくあっちこっちと、行ったり来たりの生活をしていた谷口鮪さん。
孤独な少年時代を過ごしていたのでしょうか?
母親と養父との暮らし
結局、小学4年生まで母親のもとで養父と3人で暮らした谷口鮪さん。
「大阪で暮らしたい」と呟く谷口鮪さんと養父との関係が悪くなり、小学5年生のときに神戸に移住、父親との暮らしを選んでいます。
その当時のことを雑誌のインタビューでこう語っています↓
両親が離婚して母親の方に行ったんですけど、そこで手紙をずっと書かされました、父親に宛てて。僕を迎えに来てくれっていう手紙を書かされて、出してっていうのをずっとやっていました、4年間。でも、別にそれに対してのレスポンスは何もなかった
引用元:https://rockinon.com/
物心ついた年頃だった谷口鮪さんにとって、母親と知らない男性との暮らしは居心地が悪いものだったのかもしれません。
谷口鮪さんは4年間もの間居場所がなく、父親に出した手紙の返事もなかったとなると、孤独さが募ります。
大人の事情で谷口鮪さんを押し付けあっていたようにも感じられて切ない気持ちになりますよね。
谷口鮪はギャンブル父親に育てられた?
父親はギャンブル好きで、仕事が長続きしない人
谷口鮪さんは、父親を「どうしようもない人」と明かしています。
父親とはゴジラ映画を観に行って、ゴジラにでっかい飴を買ってもらった記憶など、遊びに行った思い出はあります。
それでも、父親について谷口鮪さんは「どうしようもない人」という辛口な評価。
高校卒業後に絶縁状態?
谷口鮪さんは、高校卒業後に家を出て自立の道へ
父親から勘当される状態で家を出た谷口鮪さん。
中学生の時にマキシムザ・ホルモンが好きになり、影響を受けてギター購入しています。
音楽を始めたことで、友人とのつながりが持てるようになり、高校時代の軽音部でKANA-BOONを結成。
谷口鮪さんが本名ではなく「谷口鮪」を名乗る理由について、インタビューでこう語っています。
谷口鮪が生まれた時点で、谷口⚪︎⚪︎(本名)の部分はどんどん消えていった。谷口⚪︎⚪︎の方のは自分にとって負の部分でしかなくて、それを今までは分かちあえる存在ってのがなかったから。
引用元:https://rockinon.com/
本名が負の要素しかないというのは衝撃です。
しかも『今まで分かち合える存在がなかった』と語っていて、谷口鮪さんの孤独さが伝わる一文。
谷口鮪さんにとって、この名前は人生をやり直すための大きなターニングポイントだったんでしょう。
KANA-BOONというバンドを持つことで、谷口鮪さんの存在意義が明らかになったのかもしれませんね。
今後、バンドのスタイルは新しくなりますが、谷口鮪さんは続けていくことを明かしています。
新生KANA-BOONを応援していきましょう。