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キングカズのお父さんが逝去されたことがわかり、急遽ポルトガルから帰国した三浦知良(みうら かずよし)さん。
20代の頃から注目されていた三浦知良さんですが、両親についてあまり報道されてきませんでしたよね。
三浦知良さんと納谷宣雄(なや のぶお)さんは親子ですが、苗字が違うのはなぜ?父親の職業についても調査して行きましょう。
納谷宣雄は三浦知良の父親
三浦知良さんと並んでいる白髪の男性が納谷宣雄さん。
こうしてみると三浦知良さんは納谷宣雄さんにそっくりなことがわかりますね。
納谷宣雄さんと三浦和良さんは親子のはずですが、苗字が違うのはなぜなのでしょうか?
納谷宣雄さんと三浦和良さんの苗字が違うのはなぜ?
納谷宣雄さんと三浦和良さんの苗字が違うのは、両親が離婚しているから。
こちらが三浦知良さんの母親である三浦由子さん。
両親が離婚したのは、三浦知良さんが小学4年生のとき。
三浦知良さんは母親の元に引き取られ、母親の姓を名乗ったので「三浦」が苗字だったんですね。
15歳で単身ブラジルに渡った時、未成年であるにも関わらず両親が報道されなかったのは、そんな背景があったようです。
納谷宣雄はサッカー関係者?
・納谷宣雄さんは日本初のサッカー専門店『ゴール』の経営者(現在は廃業)
・アマチュア選手としてプレー
三浦知良さんが生まれ育った静岡県は『キャプテン翼』の舞台になっています。
ファンからしたらサッカーの聖地とも言える静岡県で、サッカー専門店を営んでいたんですね!
現在も静岡県は『サッカー王国』と呼ばれ、Jリーガーを多く排出していることでも有名です。
両親の離婚後も、三浦知良さんは父親と交流があり、ブラジル留学の背中を押したのも納谷宣雄さんだと言われています。
離婚後にブラジルに渡って事業を起こしていた納谷宣雄さんが、三浦知良さんを呼ぶ形でブラジル留学が決まったのです。
納谷宣雄さんは三浦知良さんのことを、これだけサポートしていました。
・現地視察
・受け入れ態勢の準備
・渡航費の工面
三浦知良さんがブラジルでサッカー留学したときは、日本人が少なく情報が少なかった時代です。
しかも中学卒業したての15歳の少年を、納谷宣雄さんは反対せずに応援して環境を整えたんですね。
三浦知良さんのサッカー人生は、納谷宣雄さんのサポートなしだったら違っていた可能性が大きいでしょう。
ユース世代の育成に貢献
・1960年代からユース育成に力をいれ、指導歴は50年以上!
・指導した選手は数千人以上!
・そのうちJリーグ選手は100人以上に上ります。
納谷宣雄さんは、2015年に日中友好サッカー連盟の理事に就任しています。
なぜ中国?と思う人もいるでしょうが、中国・韓国・日本のアジア3ヵ国が強くならないと世界で戦えないと思ったから。
日本だけではなく、アジア地域の底上げを狙っていたんですね。
ミサンガ人気の火付け役
ミサンガを日本に紹介したのは、納谷宣雄さんだと言われています。
手首や足首に願掛けしながら結んで、切れたら願いが叶うと言われて一時期すごいブームになりました。
これ以外でも納谷宣雄さんが手がけたサッカー関連のビジネスがこちらです↓
・サッカー映画自主上映
・物販事業(グッズ・ユニフォームなど)
・韓国でサッカーボール製作
・ブラジル留学斡旋ビジネス
・ブラジル人を日本留学する代理人ビジネス
・ミサンガビジネス
破天荒で逮捕歴もある納谷宣雄さんのバイタリティが、三浦知良さんにしっかり受け継がれていることは間違いないでしょう。
50歳過ぎてもピッチに立つ三浦知良さんの存在が、納谷宣雄さんの生きがいだったという報道もあります。
納谷宣雄さんが手がけたビジネスのほとんどは、現在ありません。
失敗してもめげずに全身する姿勢は、三浦知良さんのサッカーに向き合う姿勢とも重なりますね。
納谷宣雄さんのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。