俳優の大森南朋(おおもり なお)さんは、雰囲気のある役者で出演作は気になって観ちゃうという人もいるでしょう。
ドラマや映画、舞台に出演する大森南朋さんの家族についてはあまり知られていませんよね。
この記事では、大森南朋さんが母子家庭育ちだったことや、父親について調査していきましょう。
大森南朋の母親はダダ?
大森南朋さんの母親は一般人で、桃枝さん。
新宿の名物喫茶『風月堂』で「女王」「ダダ」と呼ばれていました。
こちらは、大森南朋さんのNHKファミリーヒストリーで紹介された1枚です。
黒のトップスの女性が大森南朋さんの母親「ダダ」でしょうか?
番組内で、自由な母親だったと紹介されていたようで、この1枚の写真からそんな雰囲気が伝わってきますよね。
文化人が集まる喫茶店『風月堂』は、個性派俳優も多く集まる場だったそう。
1946年から1973年まで営業した。名曲喫茶の先駆けとも言える。
戦時中禁止されていたクラシックレコードをかける喫茶店としてスタートした。白石かずこ、天本英世、三國連太郎、岡本太郎、岸田今日子、寺山修司など若き才能が多く集まった。レコードのコレクションは充実しており、NHKも借用に来るほどだった。
引用元:Wikipedia
喫茶店の客の名前を見ると、才能に溢れた若者のたまり場だったことがわかります。
そんな芸術的な喫茶空間で、大森南朋さんの母親は『ダダ』という愛称でも呼ばれ、特別な存在だったそう。
番組内で、大森南朋さんの母親は
不良っぽくて、アンニュイで気前が良くて雰囲気のあるボス的な女ですね
と紹介されていました。
近所のヤンチャな子に対しても寛容で「そういう子たちを呼んで付き合いなさい」という、表面だけで善悪を判断しないタイプの人だったそうです。
大森南朋さんの母親は、常識や一般的な善悪で物事を判断しない素敵な方だったんですね。
大森南朋の父親は麿赤兒!
麿赤兒(まろ あかじ) は俳優・舞踏家
麿赤兒さんは、個性派俳優として活躍。
強面で大森南朋さんと麿赤兒さんは親子と思えませんが、年齢を重ねていくうちに似てきていますよね。
両親の離婚はなぜ?
離婚理由は麿赤兒さんが舞台に夢中になったから
麿赤兒さんと桃枝さんが結婚したのは1970年。
定職につくことなく結婚し、2人の息子が誕生し、生活を成り立たせるために舞踏集団『『大駱駝艦』を旗揚げ。
仕事は軌道に乗り、国内外で評価されることになったのです。
麿赤兒さんは舞台制作にのめり込み、稽古場に入り浸ることが多くなっていったんだそう。
そんな状況で夫婦間ですれ違いが生じ、離婚に至ったようです。
芸能界入りは父親のスカウト
高校時代にバンドに熱中した大森南朋さんは卒業後も定職つかずにフラフラしていました。
そんな息子に麿赤兒さんが「役者になる気はあるのか」聞いたことがきっかけで、役者の道に進むことになったのです。
大森南朋の兄は映画監督
『タロウのバカ』公開記念 舞台挨拶1回目終了!舞台袖で記念撮影!!#大森立嗣 #YOSHI#菅田将暉#仲野太賀#豊田エリー#植田紗々#タロウのバカ pic.twitter.com/ArHEFVlRld
— 映画『タロウのバカ』 (@taro_no_baka) September 8, 2019
左から2人目のキャップを被った男性が、大森南朋さんの兄・大森立嗣さん。
菅田将暉さんや中野太賀さんを起用した映画は話題になりましたよね。
その他にも多くの作品を手がけて、いくつもの賞を受賞している監督です。
大森立嗣さんが監督を務めた映画『まほろ駅前多田便利軒』に大森南朋さんと麿赤兒さんが出演。
このエピソードから、麿赤兒さんと一緒に暮らした時間は少なくても、大森南朋さんたち親子の関係性が良好であることは間違いなさそうです。
まとめ
大森南朋さんの母親や父親について調査して見ました。
母親は一般人ですが、若き才能が集った『風月堂』で女王「ダダ」と呼ばれたカリスマ的存在の女性。
父親は舞踏家で、個性派俳優でもある麿赤兒さん。
大森南朋さんが幼い時に両親は離婚していますが、DNAはしっかり受け継がれ存在感のある俳優になっていますよね。
まだまだ大森南朋さんの俳優としての活躍が期待されますね。
応援していきましょう!