【平野美宇の父】病院どこ?娘のサポートのために転職の噂は本当?

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日本の女子卓球を牽引し、パリ五輪でのメダルに期待がかかる平野美宇選手。

卓球選手の多くは両親の影響で始めた人がほとんどですが、平野美宇選手の父親は現役の医師なんです。

この記事では、平野美宇選手の父親にスポットを当て深掘りしていきましょう。

平野美宇の父は現役の医師

平野美宇さんの父は

循環器内科の医師

です。

プロフィールがこちら↓

名前:平野光正(ひらの みつまさ)
生年月日:1968年12月21日
年齢:56歳(2024年時点)
出身地:山梨県

平野美宇さんの父親・光正さんは「筑波大学」と「宮崎医科大学」の2つの大学を卒業

学歴を見るだけでもかなり優秀な方ということがわかりますが、何故大学に入り直したのでしょうか?

プロ卓球選手を目指していた

高校時代は全国制覇を目指し卓球に明け暮れていたという父・光正さん。

卓球推薦で入った筑波大学時代に男子卓球部の主将を務めていて、人間力もある方です。

その実力は

全国公立大学卓球大会で2連覇(第28回、29回)

しており、相当のものだったことは間違いなさそうです。

新型コロナで大会が中止になった時の記事に、平野美宇さんの父親・光正さんについても触れていました。

全国公(注:全国公立大学卓球大会の略)は「もうひとつのインカレ」とも言われている。過去には平野美宇(日本生命)の父・平野光正さん(当時・筑波大)がシングルスで2連覇(第28回、29回)を果たしている歴史ある大会だ。

引用元:https://rallys.online/read/200508jpnuttl/

実業団やプロの道の夢を諦めたあと、一時期は体育教師を目指して教員採用試験の勉強もしていたんだそう

ですが、そこまで熱意が持てずに高校教師への道を断念しています。

医学部を再受験

卓球選手の夢を諦め、高校教師になる熱意を持てずにいた父・光正さん。

中学校のときに、小学校の恩師から聞いた「医師」という仕事の素晴らしさを思い出します。

さらに、筑波大学で学んだ「身体の仕組みや健康」の知識を、もっと深めたいと思ったこともきっかけだったそう

とはいえ、医学部に入学するにはかなりハードルが高いはずです。

しかも、医大に通いながら卓球は続けていて、医学部界隈では有名だったらしいわよ

平野美宇の父はどこの病院に勤務?

平野美宇さんの父・光正さんは山梨県の

甲府城南病院

に勤務。

2012年に発行された甲府城南病院の冊子「ひだまり」に、父・平野光正さんの紹介文が載っていました。

現在は、甲府城南病院のHPに平野美宇さんの父・光正さんの名前は見当たらず、転職されています。

サポートのために病院を転職

甲府城南病院を退職したのは、平野美宇のサポートのため

不調に苦しんでいた平野美宇をサポートするために、山梨の病院を退職し都内の病院に転職した父・光正さん。

東京五輪のシングルでは補欠出場、リベンジを賭けたパリ五輪の選考では8位が続いていたことがあり選手生命の危機に立たされていたんです。

そんな平野美宇さんの苦悩を知り、父・光正さんは転職を決意したのかもしれませんね。

転職先を決める条件が「勤務時間17時まで」「残業なし」「土日勤務なし」だったそうよ。

父・平野光正さんの転職先の病院は不明ですが、現在は都内大学に進学した次女も一緒に3人で暮らしています

食事から車の送迎、国内の試合観戦など、一番身近でサポートしている父・光正さん。

平野美宇さんは所属先・日本生命の企画で父の日にコメントを送っています。

「いつも支えてくれているお父さんへ。私が小さい頃に試合してくれたり、今では忙しい中、ご飯を作ってくれたりしてありがとうございます。」

引用元:https://rallys.online/life-tech/sns/200615hiranomiu/

日本女子卓球は、レベルが年々上がってきていて代表選考に残ることが厳しくなっています。

そんな厳しい世界で代表に選ばれた平野美宇さんのメンタルを支えていたのは、父・光正さんだったんですね。

まとめ

平野美宇さんの父についてまとめると、

・学生時代はプロの卓球選手を目指していた
・卓球選手の夢を諦めたのは筑波大学生の時
・医学部に入り直して循環器内科の医師になった
・甲府にある病院に勤務したが、平野美宇のサポートのため都内病院に転職

現在も、都内病院に勤務しながら平野美宇さんのサポートをしている父・光正さん。

パリ五輪でのメダル獲得を期待して応援していきましょう。

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