現在57歳(2024年1月時点)の見栄晴さんは、人気子役として誰もが知る存在でした。
子役時代を経て現在は競馬予想の番組に出演していて、ギャンブラーの印象の強い見栄晴さん。
今回は、見栄晴さんが人気子役として活躍したのはいつ頃まで?ギャンブラーへの転身はなぜなのか?について調査していきましょう。
見栄晴が人気子役だったのはいつまで?
見栄晴が活躍したのは1969年から1982年ごろ
80年代の超人気番組『欽ちゃんのどこまでやるの!』のリニューアルで、「3代目・見栄晴」をオーディションで選考、最後じゃんけんで勝ったのが見栄晴さん(当時16歳)
大ブレイクし、その後の俳優人生を「見栄晴」で通すことになったそう。
16歳となると、すでに子役ではなさそうですが、見栄晴さんは人気番組出演前からすで子役としてのキャリアを積んでいたようです。
見栄晴さんはレギュラー出演ではなかったので、画像は見つかりませんでしたが。『仮面ライダーアマゾン』に出演した見栄晴さんがこちら↓
小学生時代:仮面ライダーアマゾン
こちらが『仮面ライダーアマゾン』に出演していた頃の見栄晴さん。
小学生の頃の見栄晴さんでしょうか?
当時は、本名の藤本正則(ふじもと まさのり)として俳優活動をされていました。
あまり顔の感じが変わっていませんね。
きんどこ時代
肩に力の入っていない感じが人気で、大ブレイクした頃の見栄晴さん。
3代目の見栄晴さんが一番印象に残っているという視聴者も多いでしょう。
同じ子役時代を過ごしてきた坂上忍さんが、テレビ番組で見栄晴さんに嫉妬していたと語っていました。
坂上忍さんが見栄晴さんに対して羨ましく思ったのは、
人からの好かれ方。あのおっさん、見たまんまの力の抜け加減なんです。
引用元:https://www.nikkansports.com/
それがね、時に人を引き寄せたりして…。いいな〜と(羨ましく思っていた)
見栄晴さんの脱力感は天性のもので、芸能界に残るのはごくわずかの厳しい世界。
現在も見栄晴さんが活躍できているのは、人を引き寄せる魅力があるからなんでしょう。
見栄晴がギャンブラーに転身したのはなぜ?
見栄晴さんは、俳優活動をしておらず『競馬予想TV』の司会を担当。
見栄晴さんは競馬狂と言われていますが、生い立ちや実家も大きな影響を与えていたようです。
・両親が競馬好き
・母親経営のお店の客に可愛がられた
・小学校の同級生が騎手
では、早速見ていきましょう。
両親が競馬好き
見栄晴さんの実家がある府中には競馬場があります。
熱狂的な競馬ファンだった両親が、府中に引っ越したのは競馬場があるからだったそう。
見栄晴さんが8歳の時に、父親を心不全で亡くしていますが、父親との思い出はいつも競馬場でした。
父親との楽しかった思い出の場所であるので、見栄晴さんにとっては競馬が小さい頃から身近な存在だったのでしょう。
母親経営のお店の客に可愛がられた
父親が亡くなった後、暮らしを支えるために母親は飲食店を営んでいます。
場所柄もあり、飲食店にくるお客さんのほとんどが競馬好きで、見栄晴さんは可愛がられていました。
そんな環境で育ったこともあり、競馬好きの大人のイメージも悪くなかったのでしょうね。
小学校の同級生が騎手
・横山賀一元騎手は小学校時代の同級生
・横山典弘騎手は学年が一つ下に在籍
見栄晴さんは、横山賀一さんと仲良しで、小学生の頃に競馬の開催されていない時期に競馬場でよく遊んだんだと明かしています。
小学生時代の同級生が頑張っているとなると、競馬熱も高まるでしょう。
見栄晴さんが競馬狂と言われるのは、幼い頃からの周りの環境が大きかったんですね。
まとめ
見栄晴さんが人気子役として活躍していたのは、
1969年から1982年ごろまで
『欽ちゃんどこまでやるの』に3代目見栄晴として抜擢され、ブレイクしたのが1982年。
現在は俳優活動よりも、競馬番組の司会として活躍されています。
見栄晴さんが、競馬好きになったのは幼少期からの環境や両親の影響が大きかったみたいですね。
下咽頭がんのステージ4と診断され、『ガンにも競馬にも勝つ』と宣言して治療に専念するため活動休止することを発表した見栄晴さん。
元気な姿が見られるように、応援しましょう。