CMでもお馴染みの人気ラッパーKrevaさん。
ヒップホップを日本に広めたことでも有名で、平野紫耀さんも楽曲提供を直接お願いするほどです。
この記事では、Krevaは知っているけど詳しくない方のために、経歴をまとめてお伝えしていきましょう!
【krevaのwiki経歴】ギターに触れたのは4歳だった
冒頭でもお伝えした通り、Krevaさんはヒップホップを世に広めた人。
ギターを始めたきっかけは?
Krevaさんが母親の自転車の後ろに乗って、通りすがりのギター教室の看板を見つけて「やりたい」と言ったのがきっかけ。
おそらく音符や文字も読めなかった頃にギター教室に通わせた両親も素晴らしいですが、小学3年生ころまで続けたKrevaさんもなかなかですよね。
手が痛くて上手く演奏できている感じはなかったんですって
それでも、ギターを習ったことでリズム感と音感は身についたそうです。
ギターを辞めたのはなぜ?
小学校3年生の時にサッカーに目覚めてギターをやめてしまったKrevaさん。
Krevaさんの一番最初の夢はサッカー選手になることだったそうで、運動神経も抜群だったのでしょう。
サッカー漬けの日々を送りながら、音楽はKrevaさんにとって「演奏する」から「聴くもの」に変化していったんです。
Krevaの父親は音楽業界の人?
Krevaさんの父親は喫茶店『カフェ・ド・ピエール』のオーナー(※現在は閉店)
東京都江東区にあった喫茶店はファンの間では有名なお店でした。
krevaさんの父親は音楽業界の人間ではありませんが、喫茶店に流れる音楽がルーツだった可能性もあるかもしれません。
【krevaのwiki経歴】ヒップホップはいつから?
サッカーの練習に明け暮れる日々を過ごしながら、音楽はいつも近くにあったと語るKrevaさん。
中学生になるとラップのことばかり考えて過ごしていたんだそうです。
ヒップホップとの出会いは中2の時
小学校の幼なじみだったCUEZERO(キュー・ゼロ)とヒップホップグループ『BY PHAR THE DOPEST』を結成したのは中学2年生の時。
Nuts(ナッツ)、マーくんも誘って4人グループで活動。
雑誌記事を読みながら「韻(いん)を踏む」ことを知ったり、フリースタイルはスッと馴染んで「すぐにできた」Krevaさん。
ギターよりもフリースタイルの方が相性が良かったんだそう。
1995年〜1998年の3年間、2006年に活動してシングル2枚とアルバム2枚リリースしています。
現在は活動休止していますが、Krevaさんの音楽活動の原点になったグループ。
高2でターンテーブル購入
Krevaさんがサッカーからヒップホップにシフトし始めたのは、高校2年生の時。
ターンテーブル1台とミキサー1台を購入して、雪の中を12kgの重い荷物を運んだそう。
そこからKrevaさんのヒップホップへの道が本格的にスタートしたんですね。
Krevaさんは高校卒業して慶應義塾大学へ進学しましたが、音楽で売れる自信があったので就活していません。
「とにかく自分がラップしたら売れるだろうって思っていました。『100万枚は余裕だろう』って(笑)。だから気持ちに迷いはなかった。」
まとめ
KREVAさんの経歴をまとめると、
・4歳から小学3年生までギター
・小学4年生から高校3年生までサッカーの日々
・中学2年生でヒップホップに目覚めてグループ結成
・高校2年生の時にターンテーブル、ミキサー購入
・大学卒業する頃には音楽で食べていくことを決意
ということでした。
運動神経や頭が良く、音楽の才能があるKREVAさん。
これからもヒップホップ界を牽引する存在であることは間違いないでしょう。