【山崎育三郎】両親の離婚はいつ?なぜ17歳でヤングケアラーに?

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歌手以外で、番組MCや俳優として活躍の幅を広げている山崎育三郎さん。

山崎育三郎さんはエリート街道を通ってきた印象を持ちますが、実は両親の離婚を経験しているんです。

この記事では、山崎育三郎さんの両親離婚の時期や、ヤングケアラーの過去について調査しましょう。

山崎育三郎の両親が離婚したのはいつ?

山崎育三郎さんが17歳のとき

両親の離婚については、2022年4月14日放送のNHK『SONGS』に出演した時に明かしていました。

その時に語られたのは、

・高校2年生のときに1年間の留学のために渡米、米国留学中に両親が離婚
・父親は仕事の都合で北海道移住
・母親は地元の岡山で暮らすことに

ということです。

両親について山崎育三郎さんは、

転勤が多い父はなかなか東京におらず、それまでは母が十数年間、ほぼ一人で父の両親である祖父母の介護をしながら働き、子育てもしてきました。(中略)母は精神的にも肉体的にもかなり追い込まれて、留学中の僕に「私、だめかもしれない」と電話してきたこともあります。

引用元:https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/156000c

義理の両親の介護と仕事、子育ての疲労が大きくなり離婚に至ったんですね。

当時高校生だった山崎育三郎さんに弱音を吐くほど、大変な状況だったことがわかります。

一般的に見ると、子供の留学中に両親が離婚するなんて驚きますが、子育てがひと段落したタイミングだったのかもしれませんね。

なぜ両親離婚で山崎育三郎はヤングケアラーに?

山崎育三郎さんがヤングケアラーになったのは17歳の高校生の時。

留学終わりで実家に戻り、介護生活がスタートしています。

17歳でヤングケアラーになった理由は

母の介護状況を見ていたから

介護・子育て・仕事の3本をこなしていた母親の姿を知っているから、子育てや仕事をしていない分やれるんじゃないかと思ったんだそう。

その時の覚悟についてこう明かしていました。

僕は、母の戦争のような日々を子供の頃からずっと見ていたし、親元を離れて過ごす中で自信と自立心が生まれていたので、祖父母の介護を決断しました。

引用元:https://mainichi.jp/articles/20210311/k00/00m/040/156000c

とはいえ、山崎育三郎さんはひとりっ子でなく、4人兄弟の末っ子。

他の兄弟の手を借りることができなかったのは、

留学や寮生活を送っていたので、祖父母の側にいるのは山崎育三郎さんだけだった

からなのです。

祖父母はどのくらい介護が必要だった?

山崎育三郎さんの祖父母の当時の身体状況は、

・祖父:脳梗塞で認知症 言葉がうまく伝えられない
・祖母:右半身不隋で車椅子生活

夜間のトイレ介助など、高校3年生から大学2年生の時まで介護生活と学生生活を両立しています。

2人の高齢者の介護をするのが大変で「祖父母に辛くあたった」こともあったんだそう。

学業と介護生活、さらには食事作りなどもあると考えるとキャパオーバーになるのも無理ありません。

ヤングケアラー生活を支えた友人

山崎育三郎さんが、3年間も祖父母の介護生活を続けることができたのは、2人の親友が助けてくれたから。

中学のときからの親友は、

・祖父母を介護施設に連れて行ってくれた
・買い物や食事のサポート
・祖父母と和やかな食事する時間を一緒に過ごしてくれた

などしてくれたおかげで、山崎育三郎さんは介護を乗り切れたんだと明かしています。

最終的に祖父母が介護施設に入所したことで、山崎育三郎さんの介護生活は終了。

介護生活と学業を両立させ大学進学し、後にミュージカル俳優の第一線で活躍する実力者になった山崎育三郎さん。

介護生活の苦労や、親友との関係性が山崎育三郎さんの魅力を作り上げたのかもしれませんね。

まとめ

山崎育三郎さんの両親が離婚した時期や、ヤングケアラーになった経緯について調査すると、

・両親離婚は山崎育三郎が高校2年生のとき
離婚理由は、義理の両親介護で母親の精神的、肉体的負担が大きく限界になったから
・実家に残された要介護の祖父母の介護者になったのが山崎育三郎
・ヤングケアラーになってから3年間は介護と学生生活の両立

だったことがわかりました。

介護生活で精神的に大変だった山崎育三郎さんを支えたのが、中学からの2人の親友。

山崎育三郎さんの歌声が響くのは、単なる技術力だけでなく人間的な魅力があるからでしょう。

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