『Dr.スランプアラレちゃん』や『ドラゴンボール』など、代表作がいくつもある漫画家の鳥山明さん。
名前は有名で誰もが知る漫画家ですが、メディアに出ることは少なく鳥山明さんの情報は多くありませんよね。
この記事では、鳥山明さんのプロフィールや経歴を深掘りし、本名で活動した理由も調査して行きましょう。
鳥山明のwikiプロフ&経歴!
鳥山明さんのプロフィールがこちらです。
本名:鳥山明(とりやま あきら)
生年月日:1955年4月5日生まれ
※2024年3月1日 68歳没
出身地:愛知県名古屋市
血液型:A型
活動期間:1978年〜2024年
ジャンル:少年漫画
経歴について見ていきましょう。
鳥山明の経歴は?
幼少時代は貧乏生活
鳥山明さんの実家は決して裕福な家庭ではなく、食べ物を買うお金がないこともありました。
そんな貧乏な生活をしていても、鳥山明さんの両親は2人でワルツを踊るような心豊かな人だったようです。
鳥山明さんは、欲しいものがあると両親にねだるのではなく、手に入れるか、欲しく無くなるまで絵をかいて欲求を満たしていたのです。
その空想の時間や、想像の世界が鳥山明さんを漫画家へと導いたのでしょうか。
いずれにしても、すごい集中力だったことがわかるエピソードです。
リスペクトした漫画家
鳥山明さんが尊敬する漫画家は「手塚治」と「ウォルト・ディズニー」
ディズニーアニメ「101匹わんちゃん行進曲」を毎日模写
「鉄腕アトム」のロボットを毎日イタズラ描き
鳥山明さんの絵の根本は、手塚治虫さんとウォルトディズニー。
それにしても、毎日模写やイタズラ描きを行うほど絵に没頭していた少年時代を過ごしていたんですね。
鳥山明が本名で活動したのはなぜ?
漫画家は「ペンネーム」を使って活動するのが一般的です。
表舞台に立つことがほとんどない鳥山明さんが、本名で漫画家としての活動をしているのはなぜでしょう。
漫画家として売れないと思っていたから
鳥山明さんが1978年に少年ジャンプに連載し始めた頃は読み切りで、読者アンケートではあまり評価されていなかったんです。
そんなこともあり「どうせ売れない」と思いペンネームを考えずに活動し始めた鳥山明さん。
本名での活動が「漫画家になって一番後悔したこと」と後に明かしています。
まとめ
鳥山明さんのプロフィールや経歴について深掘りしました。
愛知県で生まれ育ち、裕福な家庭ではなく絵を描くことで欲求を満たしていた幼少期を過ごしていた鳥山明さん。
ディズニーや鉄腕アトムのキャラクターを毎日模写することで技術力を磨いたんですね。
鳥山明さんが描くキャラクターは国内だけでなく世界中から愛されていました。
末筆ながら謹んでご冥福をお祈りいたします。